鶴峯八幡宮 茨城県古河市
鶴峯八幡宮は、古河市の埼玉県との県境近く、県道228号(日光街道)
沿いにあります。境内前に駐車場があります。
御祭神
八幡宮 誉田別命・神功皇后
香取宮 経津主命
由緒を紹介します。(由緒書きより)
平安時代末期第八十一代安徳天皇の御宇治の治承四年(1180)
九月、治承・寿永の乱の最中、右府源頼朝の命により下総・武蔵国の
豪族等が参集(下河辺の挙兵)せられ、富士川の合戦に向かう。
その際、川の畔の小高い山を目指し参集、頂上に鎮座されていた
御稲荷様に、戦いの勝利を祈願。戦で勝利し神徳を感じた頼朝は
養和元年(1181)八月相模国に鎮座されている、鶴岡八幡宮より
御神霊を勧請し鶴ヶ峰八幡宮と称す。又、鶴岡八幡宮の守護神の
丸山稲荷も勧請す。初代神職には鶴岡八幡宮初代詞官高橋摂津守の次男
で源頼朝侍従でもあった高橋鴨次郎吉元(鴨次良吉廣)定められた。
奥羽逆徒討伐の際も、頼朝は兵を率いて勝利を祈願、奥州藤原を
討伐した。
天福二年(1234)九月、下総國一之宮より香取宮を此に勧請し
合殿となり又、元弘年中、新田義貞(源義貞)が平高時(北条高時)を
討伐の際に当宮に参籠、累年の戦いでの疲労を休め、又清め、戦いに
挑み勝利した。後、旧古河城であった栗橋城の、守護宮として崇敬され
古河に公方が遷る際も足利成氏らが祈願した。
近世、徳川将軍日光社参に際では立ち寄り安全な旅を祈願した。
残された詞に<白鳩御旗の上に飜り終に朝敵を亡くし武運を開きしに
より弥増に神徳他に越たり掛巻も畏き鶴峯八幡宮の神徳本朝鎮護の
宗廟文武興隆の祖神にして神光四方にたなび神威宇宙に輝けり永き
弓矢の守りとなりて国家を鎮め給うにより、東照君主に至り永禄十一年
十一月御宮改に付伊奈備前守殿より黒印地髙五石を寄附せられる。
加ふるに川辺十三ヶ村岡郷四十ヶ村を以てせられる故に神徳愈々顕赫
諸人益尊仰し>とあり、所領三千石、社地五百石を寄与された等
日光街道の鎮守として、旅の安全を祈る五柱の神が祀られており
旅の者が足踏みをして安全な旅を祈願した。現在も御社の前で足踏み
をして、旅の安全や足腰、健康の祈願参りをされている。
江戸末期から洪水対策、河川改修工事の為の移転、明治の上地、社寺
政策により、破壊、放火、宝物盗難などに合い、一度は存続する事も
危かったとされる。が、縮小されつつも近郊の氏子崇敬者等の尽力にて
再建され存続する事が出来ている。
御朱印
かわいい折鶴もいただきました。
鶴峯八幡宮にはオリジナル御朱印帳があります。(16×11cm)
境内入口
二の鳥居
神輿殿
手水舎
拝殿
扁額
神楽殿
本殿
水神社、八坂神社、浅間神社、道祖神社、琴平神社を祀る神社
この神社の前で「左右左の足踏みを3回繰り返す」ことで
旅の安全を祈願するそうです。
摂社、丸山稲荷神社
末社群
社殿後方、三柱の御神木
社務所入口
境内がきれいに整備されていました。
鎮座地 茨城県古河市中田1337-7