平田山 清善寺 埼玉県行田市
平田山清善寺は、行田市の市街中心部、水城公園の北、公園通り
と古墳通りの間にあります。境内前に駐車場があります。
行田市は、戦国時代に成田氏が忍(おし)を治めていたため
成田氏ゆかりの寺があります。
映画「のぼうの城」にもなりましたが、石田三成軍の水攻めにも
負けなかったですね。先に親方の北条氏が、豊臣秀吉軍に負けて
しまったため、忍城を開城することになってしまいましたが
立派に戦ったということでしょうか。
由緒を紹介します。(案内板より)
清善寺は、曹洞宗成田龍淵寺(熊谷市)の末寺で、平田山清善寺と
称し、本尊は釈迦如来三尊仏である。当時は、永享十二年(1440)
当地の豪族成田刑部少輔顯忠の草創といわれている。
顯忠は、仏道に帰依し清善斎全中と号し、その館は平田精舎と
いわれていた。永正十六年(1519)に没したが、時の城主成田氏
十五代親泰は、その死を悼み、一寺を建立して平田山清善寺と称した。
その後、成田氏十六代長泰によって、天文二年(1533)再興され
翌年成田龍淵寺五世宗佐和尚を迎え開山とした。
宗旨宗派 曹洞宗
本尊 釈迦如来
御朱印
御朱印には「新兵衛地蔵尊」と記されています。
境内左奥に新兵衛地蔵尊が祀られています。
その石碑から、新兵衛地蔵尊の由緒を紹介します。
新兵衛地蔵尊建立の偉業は、忍戒大澤龍次郎氏の菩提心に依って成る
氏は立志伝中の人 名を東都に挙げるも仏道に帰依して愛郷の念
愈々深し たまたま当山に累積する無縁諸佛を見るに忍びず
先考新兵衛翁の報恩追善の行として私財を(なげう?)ち此?に
無縁塚を建立 地蔵菩薩の尊像を奉安し自ら外護者となりて萬霊を
供養す 時に昭和六年五月八日当山三十二世代なり 当時世は
経済恐慌に襲われ 我が町も又失業する者少なからず
此の時に当り新兵衛地蔵尊建立の大工事は正に旱天の慈雨に似たり
思うに是れ地蔵菩薩の行願を衆生に?たんとする氏の菩提心の発露と
言うべし 年々五月八日を大祭と定め遠近の信仰を集めて今日に
いたる。
(新兵衛という名は、行田市出身の実業家大澤龍次郎氏の亡父のようです)
境内入口
参道
参道脇の新兵衛地蔵尊の燈籠
山門
山門の扁額
境内の石仏群
鐘楼
手水舎
本堂を撮り忘れてしまいました。
本堂の扁額
本堂前の一葉観音
新兵衛地蔵尊(無縁塚の上にお地蔵様が)
地蔵尊の周囲を石仏群が囲んでいます。
五輪塔があります。
地蔵尊の前には、寄進建立者の大澤龍次郎氏の塔があります。
新兵衛地蔵尊の額堂
駐車場脇に新兵衛地蔵尊の大きな碑があります。
関東第二霊場と刻まれているように見えますが、よくわかりません
参拝日 平成29年10月12日
所在地 埼玉県行田市忍2-8-18